【からかいの愛 〜プロローグ〜】

ガシャーン


「五武会のやつらと、科学部のやつらがやりやってるらしいぞ」

 ものすごい勢いで、走りぬけていく男子生徒の群れを横目に、祐麒は一人、ため息をついた。

「こんな忙しい時に、もめごとおこさないでくれよなぁ…」

 私立花寺学院。
 名門という飾りがつく男子校ではあるが、いつの世の中でも、すべての人間が完璧なお坊ちゃまであるはずもなく、ちょっとしたいざこざなどは日常茶飯なことでもあった。特にこの花寺学院では、昔から体育会系と文化部系の間には、大きな溝が出来てしまっており、ささいな争いが多かった。

「だいたい、体系の違いってのもあるんだから、掴み合いのケンカはどう考えても無謀だろうに…」
 力で勝つ体育会、口で勝つ文化系、それぞれの得意分野は違うんだから、どっかで線を引いたほうがいいと思うんだけど…

 こういう争いの時に、止めに入らなければいけないことになっているのは、中間管理職の生徒会の役目で、祐麒はその中でも、恐れ多くも生徒会長であった。 


 祐麒が現場に辿りついた頃には人だかりができており、その中心で、取っ組み合いをしている男子生徒の姿がみれた。近くの窓ガラスにはヒビが入っており、科学部の奴がもっていたと思われし、ビーカーやフラスコなどの器材が廊下に割れ落ちていた。
 争いの経過は、当然の様に体育系の男の圧倒的優性であるにも関わらず、白衣を着た男は口での抵抗を辞めず、ますます力ゴリラを怒らせている状態だった。
「これをどうとめろというんだよ…」
 うらむよ、本当に

「あ、ユキチ。どうしよう、これ」
 ふと気付けばそこにはアリスがいた。
「騒ぎききつけてきたんだけど、僕にはちょっととめられそうもないよ…」
 見た目も心も華奢な女の子であるアリスにとっては、ケンカを止めるのは無理であろう。
「はぁ…、いつものことだ。 どうにかするよ」
 祐麒は軽く深呼吸をすると、人の輪を掻き分けて、争う二人の前にたった。

「ストーップ!
 いいかげんにケンカはやめろ!」
 掴み合う腕を引き裂く様に、身体をうずめる。
「うるせー、邪魔なんだよ」
 圧倒的な勢いで突き飛ばされる。
 そこまでは予想はしていたが、運悪く足元には丸い試験管が転がっており、気付いた時にはバランスを崩し窓へと倒れこんでいた。
「痛っ…」
 倒れこんだ場所は割れた窓ガラスのすぐ傍で、反動で欠片が落ちてきて、祐麒の頬を翳めて行った。  祐麒を突き飛ばしたことさえもなかったかのように、目の前の二人はまだ言い争っている。
 話している内容は、肩がぶつかっただの、筋肉だけ男だの、まるで子どものケンカとしか思えない。
「あったまきた…」
祐麒は立ち上がると、近くの水道にある水のたまったバケツを持ち上げた。
「いいかげんに、頭を冷やせ!
 この器物破損どもが!」

 バシャーン

 良く透る祐麒の叫び声と同時に、頭に血が上っている取っ組み合いをしている二人の上に水がかけられる。
「この、くそ忙しい時に、揉め事を起こすな。
 この場は生徒会長である福沢祐麒が預かる。
 後始末をした後、生徒会長室まで報告に来い!」
 急に水をかけられた二人は、目をぱちくりさせる。
 止めに入った人間が、祐麒だということに気付くと、きまづそうに互いに手を離した。それを確認すると、祐麒は集まった見物人に散るように指示をだす。
 生徒会長、という肩書きは、なんだかんだで役に立つ。


「あまりいい気になるなよな」
 ふいに聞こえる後ろからの声に気付く。
「生徒会長とはいっているけれども、それは肩書きだけだろ?」
 みると頭から水をたらした体型のいい男が祐麒を睨んでいた。

「なんか言いたいことがあるのか、鈴木…」
 鈴木とは去年同じクラスだった。体型もよく、行動力もあったため、いつもクラスのリーダー役だったのをよく覚えている。
「柏木会長のお気に入りだったというだけで手に入った地位だろ、 別にお前が偉いわけじゃない。お前の後ろや肩書きだけが偉いんだ」
 怒りがおさまらないらしい鈴木はイライラを祐麒にぶつける。
 もう一人の争いの原因である科学部の奴は、こそこそと逃げるように消えた後だった。
「たしかに、この生徒会長という肩書きは、柏木先輩からの置き土産だ。でも受け取ったからには、俺には責任がある」
「偉くなったもんだなぁ、福沢よぉ
 去年、同じクラスだったときは、平凡中の平凡だったのになぁ」
 にじりよってくる鈴木の目は、明らかに見下しの眼だった。
「…鈴木がどう思おうとも構わない。
 だが、経由がどうにせよ、引きうけたのは俺の意思だ。先輩方が築き上げたこの座に恥じないよう、勤める義務があるし、権利もある」
 身長の差からどうしても上目遣いになってしまう。
 少年のような声、体つきは大分大人に近づいてきたけれども、鈴木に比べればまだまだ幼い。
 けれども、睨まれたからと言って逃げ出すほど弱くはない。
「…わかったよ。 生徒会に逆らって、部までに迷惑かけたらどうにもならないからな」
 捨て台詞を残して鈴木も去る。
「後片付けをしろっていっただろ…」
 口の中で祐麒は呟いた。




「ユキチ、血が出てる」
 アリスがハンカチを差し出しながら、心配そうに覗きこんできた。
「あ、ありがとう」
 硝子で切った頬から、ジワリと血が滲んでいた。
「ごくろうさま。さすがは生徒会長だね」
「全然スマートじゃないけどな」
 きっと柏木先輩だったら、もっと簡単に争いをおさめることが出来ただろう。
 もっと納得のいく結果が生まれたんだろう。
「結局、権利を執行しただけだから…」
「でも、ユキチらしくていいとおもうよ」
「肩書きだけで片をつけるのが?」
 ちょっと苦笑いをして答える。
「いや、それじゃなくて、いきなりバケツで水をぶっかけるところ」
 アリスは楽しそうに笑った。
「そんな滅茶苦茶なこと、ユキチ以外は普通できないもの」
 ケタケタとアリスは笑う。
 何がそんなに面白いのだろうか。
 頭に血が昇ったのならば、冷やせば良い。
 ただそう思っての行為なんだが…。
「やっぱり、いきなり水かけるのは、だめだったか?」
「いや、マンガっぽくて、ユキチっぽくて、すごくいい」

 どんなだよ。
 あまりに笑いが続くので、その笑顔をみてたら祐麒も自然と笑いたくなった。
 そうだ、何も悩むことはない。
 俺は俺なんだから、とりあえず、今はアリスにつられて笑っておこう。