【絶対の神】

「ユキチ…、ねむっちゃったの?」

すぐ横で、泣きつかれた子猫が眠っている。
小さな寝息が、心地良いリズムを奏でている。
頬に伝わる、一筋の線。
そっと、頭をなでると、柔らかい髪の毛がさらっと、流れた。

こんなにも、幸せだというのに…。

喉が渇いてしょうがない。
こんなにもそばにいてくれるというのに、
それだけじゃ心は一向に満たされない。
ただそこにいてくれるだけでは、
この渇きは絶対に、埋まることはない。

一目見た時から魅了された。
暗くて狭くて、荒んだ世界に生きてきた僕にとっては
君は光を捧げてくれる天子だった。
真っ暗な闇の中から僕を光の世界へと導いてくれる仏であった。
はじめて、心のそこから欲しいと思った。
同時に、けっして求めてはいけないとも思った。
僕がそばにいると、君まで汚れてしまうから。

だけど、欲望は絶えることはなく
僕の中の汚れた病魔は、一瞬の均衡を破ってとびでてきて、
君を汚染した。
すべてを僕の色で染めようとした。
けれども、君はいつまでも汚れることはなく
真っ白な光で守られている。
光に影を落とそうと、病魔は躍起になるというのに、
するりと手の中から飛び出して行く。
けして、僕に染まらない君…
僕の絶対的な存在。

そっと手を伸ばして、頬を流れる雫を拭う。
汚れのない聖水を流しながら、天に選ばれた御子は
理由も言わずにただただ、泣き叫び、
こんな悪魔に助けを求めた。
進んで堕ちようとするなんて、正気の沙汰じゃない。

「ぅ…ん…」
浅い眠りの淵で、祐麒が身を振るわせる。
闇に閉ざされた視界の際で、眠りに封じこまれた肉体を酷使し、
そっと唇を咲かす。
「ん…、俺、寝てた?」
漏れる声は天上の囁き。
絶対の神は、いつまでも僕を捕らえて離そうとしない。
心もなにもかも奪って行くというのに、
けして、僕のものにはならない。
暖かさを感じられるこの瞬間を切り取って、
永遠に時をとめてしまえたらいいのに。

いっそ、このまま檻の中に綴じ込めてしまおうか。
小さな鳥篭の中にいれ、毎日餌をあたえようか。
誰にもみられない場所に、誰にもさわらせずに、
そのまま放置しておけば、
僕だけを求めて鳴いてくれるだろうか。

「今日…、親友をなくした。」
天使が人間と成り代わり、生身の声が沈みながら耳を討つ。
「そう…、それはつらいね」
僕は微笑みながら、そっと答える。
震える子猫を慈しむよう、最高級の慈悲を浮べながら。
「俺は、普通に笑いながら馬鹿やりたかった。
 一緒にいて、遊んで、馬鹿やって、楽しんで。
 時にはケンカをするけど、すぐ仲直りして。
 そんな親友のままでいたかった」
ぽろぽろと流れる涙を隠す様に、黒光石を手で隠し、
ひくひくと、しゃっくりをあげながら、深い声が語り始める。
「だけど、あいつは…
 俺を友達とみたことはないといった。
 はじめて会ったときから、そこにはすでに恋愛感情があって…
 友達としては好きじゃないといった。
 恋人としての好きだといった。同じようにみろといった。」
心の中がざわめきだす。
嫉妬という醜い感情が押し出されようとする。
けれども、長いこと被っているこの厚くて堅い仮面は
そう簡単にははずれないらしい。
「それはつらいね」
また同じ言葉を告げるこの口は、まるでオウムとなりかわっているのだろうか。

「俺は…、俺はそういう風にしかみられないのか?
 一人の人間として、友達としてはみてもらえないのか?」
おぉ、神よ。
君を慕う忠実なる僕に、どんな言葉を紡げというのか…。

「僕は一人の人間としても、ユキチが好きだよ。
 そこに恋愛感情があることは、否定できないけど」
苦し紛れにそう答える。
その言葉になんの意味を持たないのをわかっていながら。
「あんたはいいよ。最初からわかっていたし、
 俺の人間性を認めてくれてるのもわかっているから…。」

突如、心の中に光が差しこまれる。
光の言葉はいつも突然で、それだけでいつも救われる。
君を想う許しをいただけるとは思いもしなかったから。
感謝の意をいくら捧げても、足りることはない。
「大丈夫、男子校に通う少年にはよくあることだよ。
 一瞬だけの感情だから。
 明日になれば、きっとそいつも普通に接してくるよ?」
僕は無理だけどねと、笑いながら安心させる。
閉ざされた空間の擬似恋愛。
人よりも少しばかりかわいい顔をしているから、誰もが勘違いする。
「今までだって、そうだろ?
 すぐに勘違いだと気付いた君へモーションかけてきてた奴等は、
 今どうなっている?」
「…普通に友達やってる」
あんた以外はと、少し笑って答えてくる。
「そう、だから大丈夫。あまりに身近な人間だったから、
 ちょっとビックリしただけだろ?
 そいつもきっと後悔してる。
 そして間違えだったとすぐに気付く」
「そうだと…いいな」
「そうに決まっている」

「だいたい、小林はナンパな女好きじゃないか」
「そうだよなぁ。
 …あれ、俺、小林だっていったっけ?」
「親友なんだろ?だったら小林しかいないじゃないか、
 福沢祐麒の親友といったら。」
「そうだよな…。うん、そうなんだよ。親友だよな。」
嬉しそうに繰り返す言葉。
今は目の前にいる僕じゃなくて、あいつのことを考えているのだろうか。
闇の僕が、悪魔の囁きをくだす。
心を嫉妬と憎悪がしめつける。
「聞いて貰えて嬉しかった。
 ありがとうございました。」
「いいえ、ユキチに頼られるのならばいつでも大歓迎だから」

満足そうに微笑むと、
また神は僕の前から姿を消す。
残された心は、欠落していて形を保つのが難しい。

親友という立場だからこそ、
傍にいることを許してやっていたのに、
突然なにをいったんだ。あんなにも泣かすまでなにをしたんだ。

あぁ、神よ。
忠実なる下僕である僕がこれからすることに
あなたは気付くことはないだろう。
汚れた闇は僕が引き受けるから、
これからも光の中で輝いていて下さい。